高校球児の頂点を目指すための過酷な現実Number(ナンバー)983号「高校野球が教えてくれた。」 (Sports Graphic Number)

Number(ナンバー)983号より

夏といえば高校野球と甲子園である。今年は第101回大会で、令和元年8月6日(火)から8月21日(水)まで16日間(休養日2日間を含む)の激闘が繰り広げられる。

参考 第101回全国高等学校野球選手権大会 大会日程公益財団法人 日本高等学校野球連盟

書店で見つけたNumber誌を購入してみたが、もともと野球に詳しくない上に、最近の動向はよくわからない。昨夏優勝したのが大阪桐蔭ということくらいはわかるが、その程度の知識である。残念ながら同校は大阪大会の準々決勝で姿を消した。

昭和の高校野球の記憶

ページをめくり、最近はこうなっているのかとうなづきながら読んでいたが、一つのページで手が止まった。そこには、かつて全国にその名を轟かせたPL学園の特集が組まれていた。

自分の中ではPL学園といえば、清原和博と桑田真澄のKKコンビである。“甲子園は清原の為にあるのか!”という名実況も生まれたほどだ。

数々の名勝負を演じ、そこからプロへ向かった選手を多く生み出したが、今はPLに野球部は存在しない。2017年3月29日に大阪府高等学校野球連盟に脱退届けを提出し、その歴史に一旦終止符を打った。

ここにはPL学園とそこにかつて存在した研志寮での生活を通し、部員が数々の理不尽さに耐えながら野球の腕を磨いていったことが紹介されている。

今はどうかわからないが、昔はスポーツの世界においては、先輩後輩の熾烈な主従関係が存在していたのだろう。その凄さについて、元プロ野球選手の片岡篤史が振り返る記述がある。

彼らは先輩を起こさないようにそっと先に起きて、炊事をして、先輩の食事中はお代わりやお茶をすぐ出せるよう神経を研ぎ澄ます。自分の食事時間は5分しかない。そこから学校へ行き、授業が済めば練習。終われば洗濯と炊事、夜食の準備をして先輩をマッサージ。自分たちはようやく0時過ぎに眠る。身体の上を這うゴキブリを払いのける気力も残っていなかったという。

「実際に逃げた奴もいるけど、ほとんどは『絶対逃げたんねん』『明日、辞めたんねん』と言いながら、次の日にはまたグラウンドへ行く。年に一度の正月休みに向けた帰省カレンダーというのをみんながつけていて1日1日を塗り潰していった。帰る前の日には屋上で泣きながら抱き合った。『俺たち世間に帰れる!』言うて。僕ら学園の外のことを『世間』と呼んでいたから」

Number(ナンバー)983号「高校野球が教えてくれた。」 Sports Graphic Numberより

『世間』をシャバと読み替えても良いくらい、その世界は過酷であったのだろう。久々の『普通』であるはずの生活の中で、両手いっぱいに抱えた菓子やデザートを味わったが、不思議と寮内で味わったほどの感動はなかったそうである。

一体何が普通だったのか、育ち盛りの高校生をまるでマシーンのようにしごき上げていたのだ。

甲子園で優勝すると言うただ一つの目的を達成する為に、彼らは日々過酷な練習に耐えていたのだろう。他にも、清原和博の甲子園での活躍に憧れ、PL学園の門を叩いた者も紹介されている。理不尽な練習に何度も根を上げながらも、また元に戻る気持ちにさせたのは、甲子園での清原のホームランの記憶であったという。

「今、考えたらおかしいのかもしれない。でも当時はあの理不尽を乗り越えるからこそPLは日本一なんだと、だから夢が叶うんだとしか考えていなかった。

Number(ナンバー)983号「高校野球が教えてくれた。」 Sports Graphic Numberより