ロケット・ササキ ジョブズが憧れた伝説のエンジニア・佐々木正(大西 康之 新潮社 2016-05-18)

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享年102歳

平成30年2月3日の節分の日に、シャープの元副社長である佐々木正氏の訃報が伝えられた。亡くなられたのは1月31日とのこと。

佐々木氏と言えば、まだ駆け出しの頃の孫正義氏が売り込んできた電子翻訳機を買い取り、また、スティーブ・ジョブズにも影響を与えたという話が有名であるが、もともと戦時中には軍の命令で兵器の研究をしていた。平和であれば大学を卒業と同時に学校で教鞭を執るのがならいであったが、時代がそれを許さなかった。

その時に行った研究の一つがこれであった。

殺人電波の研究

当時同盟国であったドイツからレーダーの技術を習得して帰国した佐々木であったが、その知識を買われ、「く」号の研究を言い渡された。「く」は「くわいりき」の「く」で、それは殺人電波の研究を意味していた。

殺人電波の正体はマイクロ波であり、当時はそれを応用した兵器を日本の沿岸に並べ、飛行機の計器を狂わせたり、敵兵を殺傷しようとしていたそうだ。実験ではモルモットやウサギが死ぬ状態は確認されていたが、この技術はのちに身近な所で役立つようになった。

レンジでチン

戦後、佐々木が勤める会社が自衛隊からレーダーの仕事を受注したが、その部品を調達する為に出向いたアメリカで、殺人兵器の技術と思わぬ形で再会した。その会社はレーダーの技術を転用して、冷めた食事やミルクを温める調理器具を作ろうとしていた。これがのちの電子レンジである。

日本で製作した際には、初号機の価格が今の200万円くらいしたそうだが、東京オリンピックの頃には一般家庭に普及し始め、温めムラを解消する為に中のテーブルが回るようになり、仕上がりを知らせる為にベルが鳴るようになった。これが電子レンジの代名詞、「チン」の誕生である。また、佐々木と早川電機、のちのシャープとの縁ができたのはこの電子レンジがきっかけであった。

101歳のエンジニア

「我々日本メーカーはアメリカに半導体を教わった。半導体で日本に追いつかれたアメリカはインターネットに飛び移り、グーグルが生まれた。わからなければ教えを請う。請われれば教える。人類はそうやって進歩してきたんだ。技術の独り占めは、長い目で見れば会社にとってマイナスになる。」
(ロケット・ササキ P246)

晩年になっても、佐々木の意欲は旺盛であったようだ。人生の最後まで自分の足で歩けたら幸せであるので、魔法の杖を開発して車椅子を無くそうと考えていた。佐々木の発言は、「ひょっとしたらそうなるかもしれない」と周りに期待させる力があった。亡くなるまで、そして今でも人類の技術の行く末を考え、案じているかもしれない。