『どうしてワールドチャンピオンである私がこんなぞんざいな扱いを受けなければならない』
プライドを傷つけられたデイモン・ヒルは、走らぬA18に怒りの矛先を向ける
開幕戦でまともに走れないことは百も承知だったが、
カーナンバー1をつけたマシンが予選落ちの危機にあるなど許せなかった
そんな手負いの王者と愛機にレースをリードする日が来ると誰が信じようか
前年のワールドチャンプの苦悩
1997年シーズン、前年のワールドチャンピオンであるデイモン・ヒルは、チームを追われて新生アロウズにいた。前年所属したのはその頃天才エイドリアン・ニューエイの生み出すマシンと最強ルノーエンジンで世を席巻したウイリアムズである。
余談だが、ウイリアムズというチームは、自チームが輩出したワールドチャンプを大切にしない。1987年のネルソン・ピケ、1992年のナイジェル・マンセルは戴冠の翌年にチームを去っている。
(1993年のアラン・プロストは、アイルトン・セナの移籍を嫌ってのことだが)
走らないマシン
開幕戦メルボルンにおいて、ヒルの駆るマシンは予選20番手。かつてのチームメイト、ジャック・ビルヌーヴのウイリアムズ、ライバルのミハエル・シューマッハのフェラーリは遥か彼方に、同僚のペドロ・ディニスに至っては最下位22番手という惨状だ。やっとの思いで決勝グリッドに駒を進めるも、フォーメーションラップでヒルは消えた。この後もリタイアを重ねるマシン。ダブル完走は第7戦まで待たねばならなかった。
ハンガリーの奇跡
前年のワールドチャンプにとっては屈辱以外の何者でもないリザルト。チームは天才デザイナー、ジョン・バーナードを迎え入れてテコ入れを図る。そして、ヒルの地元第9戦イギリスGPで、ついにシーズン初ポイントを達成する。
ここまでの経緯を見ると、とても競争力があるマシンとは思えないが、第11戦ハンガリーGPにおいて、信じられない結果を叩き出すこととなる。予選3位から終盤はトップを快走。ファイナルラップでハイドロ系のトラブルに見舞われるも、2位を獲得したのである。(このレースについては、本誌中の今宮純氏によるレポートに詳しい)
快進撃の要素は
開幕戦で予選突破も怪しく、レースに完走どころか0周リタイアのマシンが躍進するなんて、まるで漫画のような出来事だが、その素養は十分にあった。
この年デビューし、後に世界選手権を制覇したブリヂストンのタイヤ、パワーは少なかったが、軽量コンパクトであるヤマハエンジンである。
前ワールドチャンプであるヒルは、置かれた苦境に腐る事なく、懸命にマシンの持つポテンシャルを引き出そうと努力した。その姿勢は新人ディニスにも影響を与えた。持ち込み資金目当てのペイドライバーと揶揄された彼が、後にヒルを上回る走りを見せるようになったのはお見事としか言えない。
日本のメーカーによる技術が、中段以下のチームに上位争いを可能とさせた。日本人好みのストーリーが本誌には凝縮されていた。
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